【N1真题&模拟题】N1模拟题(1)
小编:未名天日语2016-07-25 08:48:47
词汇
1.
問題1 _____の言葉の読み方として最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。
その話の趣旨がよく分からなかった。
しゅし
しゅじ
しゅうし
しゅうじ
2.
友人の幸せを妬んだところでどうしようもない。
うらんだ
つかんだ
ねたんだ
にくんだ
3.
社長の発言に憤りを感じる。
あせり
こだわり
いきどおり
いかり
4.
問題2 ( )に入れるのに最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。
この仕事は月末までに終わらせることを一応の ( )にしてください。
目印
目安
目方
目次
5.
問題の再発防止のために、何度も会議を開いて対策を( )。
培った
築いた
練った
磨いた
6.
こんな大事な取り引きは、入社2年目の社員には( )が重いだろう。
肩
頭
職
荷
7.
問題3 __の言葉に意味が最も近いものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。
もう彼に本当のことを伝えるすべがない。
必要
時間
方法
理由
8.
彼は高校時代、数学の成績が抜群だった。
ほかと比べて特に下がった
ほかと比べて特に悪かった
ほかと比べて特に上がった
ほかと比べて特に良かった
9.
講演会が終了したら、すみやかに椅子を片づけてください。
すぐに
きちんと
しっかりと
もとどおりに
10.
問題4 次の言葉の使い方として最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。
当てはめる
給料の金額は、社員一人一人の能力に当てはめて決めてほしいと思っている。
最近天候が不安定で、その日の気温に当てはめて服を選ぶのが大変だ。
少数の事例を一般化して社会全体に当てはめて考えてもいいものだろうか。
この店は客の要望にぴったり当てはめて料理を作ってくれるので、評判がいい。
11.
配布
インターネットでは、最新のニュースがすぐに配布される。
携帯電話の電波は、どこにいても配布される。
ご購入いただいた商品は、ご自宅まで配布いたします。
あの店では今、化粧品の無料サンプルを配布している。
12.
ことごとく
その画家の新作はことごとく期待はずれだった。
料理はほとんどせず、食事はことごとく外食です。
これで本日の検査はことごとく終了です。
例の件については、どうかことごとくよろしくお願いいたします。
语法
1.
問題5 次の文の( )に入れるのに最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。
夏休みに水族館に行ったら、時期( )時期だけに親子連れで混雑していた。
で
に
は
が
2.
公園の入口に「ここで花火をする( )」という立て札がある。
にあたらない
べからず
を禁じえない
までもない
3.
新幹線の新型車両が初めて一般に公開される( )、鉄道ファンの私としては、見に行かないわけにはいかない。
にあってか
とあっては
になっては
となってか
4.
(メールの終わりに)
それでは以上の件につき、引き続きご検討いただければ幸いに( )。どうかよろしくお願い申し上げます。
存じます
あずかります
頂戴します
うけたまわります
5.
店員「アルバイトの大田さんのことなんですが、仕事中におしゃべりが多くて困っているんです。店長から一言( )。」
店長「わかった。後で注意しておくよ。」
伺いたいのですが
お聞きになるでしょうか
申し上げてもよろしいですか
おっしゃってくださいませんか
6.
問題6 次の文の ★ に入る最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。
先日、聞く_____ _____ __★__ _____を聞かされた。
ほどの
ひどい
演奏
に耐えない
7.
昨今、森林を単に木材の供給源_____ __★__ _____ _____と捉えることの重要性が広く認識されてきている。
のみではなく
環境資源
として
水や空気を育む
8.
先月、父に手作りの箸をプレゼントした。長くて_____ _____ __★__ _____気に入ってくれているのかもしれない。
と言いながらも
ところを見ると
なんだか使いにくい
毎日使っている
9.
問題7 次の文章を読んで、文章全体の趣旨を踏まえて、( 1 )から( 5 )の中に入る最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。
Q70 犬が嫌いです
夫の実家は大の犬好きで家の中で放し飼いにしています。しかし私は大の犬嫌い。昔、母が「近づくとかまれる」と言っていたこともあります。犬は見抜いているのでしょう。ほかの人にはキュイーンと甘えるのに私だけにはほえまくります。私はこの家の者として失格でしょうか。たかが犬、されど犬。かなりのストレスです。(いまいち、28歳)
A70 犬クッキーで手なずける
パブロフの犬という有名な実験がありました。べるを鳴らしてエサ、ベルを鳴らしてエサをくりかえしたら、しまいに犬が、ベルの音を聞いただけで、エサを与えなくてもよだれ(注)を出すようになったというのです。あれを応用します。
ペットショップへ走り、おいしそうな犬用のクッキーを( 1 )。それを夫の生家に行くときはかならず持参し、ポヶツトに入れておきます。
( 2 )あなたが取るべき態度は、吠(ほ)えられても、動じないってことです。手をひっこめたり、叫び声をあげたり、逃げ腰になったりしちゃいけません。犬に足元を見られます。といって、犬の目をまっすぐ見てはいけません。犬は威(い)嚇(かく)されてると思いこむものなんです。このへん、人間の常識は通じませんから。目は合わせない、それが( 3 )礼儀作法です。
さて、吠(ほ)えられても動じず、目をそらしつつ、手のひらに犬クッキーをのせて差し出します。犬の歯が当たらないので、指でつまんでやるよりこわくないです。あなたは今後、その犬に会ったら、かならず、犬クッキーをやることにします。それをくりかえすうちに、犬は、あなた、イコール、クッキーってのを学習し、やがて、( 4 )でしょう。
以上は、よく吠えるうちの犬に対して、犬嫌いの友人がこころみたことです。いまだに友人の顔を見ると吠えますが、それはクッキーほしさの吠(ほ)え声(ごえ)で、もらえばたちまちおとなしくなります。友人もそれがわかってるので、おびえなくなりました。
クッキーをやったら、あとは無視します。むりはしません。犬好きがいるように、犬嫌いが( 5 )。
(伊藤比呂美『人生相談万事OK !』による)
(注)よだれ:つば。口から流れ出る液体
1)
買ってきたわけです
買ってきましょう
買ってきたはずです
買ってくるのでしょう
2)
だから
つまり
その上で
そのために
3)
3
犬の
この犬の
その犬の
あの犬の
4)
家の中で飼えるようになる
よだれを流して迎えてくれる
クッキーを差し出せるようになる
ベルの音を聞いてすぐ食べてくれる
5)
いるのでしょうか
いればよかったんです
いたのではないでしょうか
いたっていいんです
阅读
1.
今の世には明るいものは余りに少なく、暗いものは余りに多く見えるが、両者は別個のばらばらではない。絶望と見える対象を嫌ったり恐れたりして目をつぶって、そこを去れば、もう希望とは決して会えない。絶望すべき対象にはしっかと(注1)絶望し、それを克服するために努力し続ければ、それが希望に転化(注2)してゆくのだ。そうだ、希望は絶望のど真ん中の、そのどん底に実在しているのだ。
(むのたけじ『希望は絶望のど真ん中に』による)
(注1) しっかと:しっかり
(注2) 転化:変化
1)
この文章で筆者が言いたいことは何か。
絶望を希望に変える方法を模索しなければならない。
絶望に立ち向かってゆけばその先に希望がある。
絶望から目をそらすと希望が見えてくる。
絶望していては希望にたどり着くことはできない。
2.
何かを学ぶということは、もちろん、問題に答える知識や技術を身につけるという意味もあるけれど、それは実は学ぶことの本質ではない。ぼくらは本や学校で、これまでひとが見(み)出(いだ)してきたさまざまな秩序、筋道を学ぶ。だけどそうやってさまざまな「型」を学ぶことによって、いままで見えていなかった、あるいはぼんやりとしか見えていなかった「型やぶり」なものが見えてくるようになる。つまり、学べば学ぶほど、見えてくる問題は増えるというわけだ。
(野矢茂樹『はじめて考えるときのようにー「わかる」ための哲学的道案内』による)
1)
筆者は、学ぶことの本質とはどのようなことだと考えているか。
「型」を学ぶことで、気づいていなかった問題を認識できるようになること
知識や技術を身につけて、さまざまな秩序や筋道が見えるようになること
既存の「型」に固執せず、常に「型やぶり」なことに挑むこと
他人が見(み)出(いだ)したことを学ぶのではなく、自分自身で考えること
3.
私は、「どうしたらわかりやすく伝えられるか」ということを常に考えています。
その一方で、「話を単純化しすぎてはいけない」ということも胆に銘じ(注1)ています
この兼ね合いが、結構難しいのです。扱うテーマに関して勉強を積み重ね、知識が増えるほど、難しくなります。
生半可(注2)にしか知らないときのほうが、簡単にざっくり(注3)単純化できたりします。でも、そのために結果として、全体像が見えずに歪んだ像を示したり、事実とニュアンスが違ってきてしまったりすることにもつながります。これはとても①怖いことです。
それを防ぐには、とうしたらいいか。(中略)
まず、調べたいことを勉強して、誰かに話してみます。簡単に話ができたら、要注意。学部生レベルである可能性が高いからです。そこで満足せずに、さらに深い勉強をしてみましょう。すると、あら不思議。急に話が難しくなります。これが大学院生レベルです。いわば②「わかりやすい説明」に至るスランプのようなものです。
そこで挫折せず、さらに勉強を深め、「この話のキモ(注4)は何なのか」を考え抜きましょう。すると、ある日突然、自分でも驚くほど、わかりやすい説明ができていることに気づくはずです。あなたは、その分野で、晴れて「指導教授」の立場まで成長したのです。学部生レベルの人の説明の間違いを訂正してあげることもできるようになったことでしょう。
最初の単純化で満足せず、さらに高みを目指すとスランプに陥る。そこを突破すると、「わかりやすい説明」が可能になる。このプロセスが、キモなのです。
(池上彰『<わかりやすさ>の勉強法』による)
(注1) 胆に銘じる:決して忘れないようにする
(注2) 生半可:中途半端
(注3) ざっくり:大まかに、粗く
(注4) キモ:最も大事なところ
1)
①怖いこととは何か
不十分な知識で話を単純化したため、内容が正確でなくなること
話があいまいになり、情報を断片的にしか伝えられなくなること
事実に関する知識が不十分なせいで、話が単純化しづらいこと
扱うテーマに関して知識が増えるほど、説明が難しくなること
2)
②「わかりやすい説明」に至るスランプとあるが、どのような状態か。
知識が増えたにもかかわらず、深みのある説明ができない状態
知識が増えたために、かえってわかりやすい説明ができない状態
簡単なことにもかかわらず、どう説明すればいいかわからない状態
話を簡単にしすぎるために、かえって説明を理解してもらえない状態
3)
筆者は、スランプを突破するにはどうすればいいと述べているか。
簡単にあきらめずに、なぜスランプになったかをよく考える。
あきらめずに知識をさらに深め、本質は何かを徹底的に考える。
単純化できた話を振り返り、わかりやすい説明とは何かを考え抜く。
十分に知識を深めたうえで、単純化するにはどうすればいいか考える。
4.
ファースト•フードが世界中に広がったのは、文化や人間の集合状態に変化が起こっていたからである。家族はこれまでほど安定したものではなくなったし、私的な生活、労働や遊びのパターンも個人的かつ多様になっていたのである。人間の接触が煩わしいものに感じる傾向も増大した。食事がもつ楽しみは感覚と社交の至上の快楽ではなくなった。それはほかの行為のあいまに挿入されるものとなることが多かったし、それと平行して人間は食事を簡便に済ませることを望んだことも考慮すべきであろう。
(中略)
もちろん都市の食文化にとってファースト•フードが占める位置は、コンビニが買い物行動に対して占める位置と同様、全面的ではない。しかし多種多様なレストランがいたるところに叢生(注1)してくるなかに、ひとつの均質化する力として割り込み、かつローカルな都市を世界的な規模にまで広がった同一の網目に組み込むことは、無視できない力の兆候的現象なのである。
おそらくこうしたファースト•フードの経験は、意識されていることがら以上に、ほとんど意識されない感覚的な影響の方が大きいだろう。かつての食の内容から見ると、貧困としか言いようのないメニューに慣れること、あえて社会的関係を破壊しようとしないでも、人々はファースト•フードの利用によって、いつのまにか都市の遊民(注2)になっていくこと、そしてこの食形式の共有によってわれわれは奇妙なかたちで、われわれ自身をいつのまにか世界化していること、などである。
(多木浩二『都市の政治学』による)
(注1)叢生する:ここでは、多くできる
(注2)遊民:ここでは、社会関係をもたない人
1)
筆者によると、ファースト•フードがひろまった理由は何か。
人びとが人間関係や食べることに無関心になったこと
新しい食のスタイルが人々の好みに合ったこと
人とのつながりや生活スタイルが変化したこと
食に対する人々の嗜好が似てきたこと
2)
兆候的現象とあるが、それはどのような現象か。
個々の都市の食文化のなかに、ファースト•フードが入り込んでいる。
ファースト•フードの店舗数が、レストランのように増えている。
ファースト•フードが、都市ごとの多様な食形式を壊そうとしている。
ローカルな都市のレストランにファースト•フードの簡便さを取り入れている。
3)
ファースト•フードの広がりが人々に与える影響を、筆者はどのように考えているか。
食事や人間関係への興味を失い、人々は簡便な生活スタイルを求めるようになる。
人間同士の関係を弱めることになり、仕事や遊びに熱中する人間が増える傾向が強まる。
知らないうちに人との絆や食への関心を薄め、世界同一の食形式に慣れきった人間を増やす。
同じメニューに慣れることで、人々はいつのまにか多種多様な食文化に興味を持たなくなる。
5.
A
近年食品問題への関心が高い。その多くは食品の安全性を不安視する声だ。すでに政府は中立の立場で公正に科学的評価を行う機関を設置し、企業も独自の検査や表示を行うなどの対策を始めた結果、以前より安全性は向上していると言える。
しかし残念ながら、まだ消費者の安心感には結びついていない。今後必要なのは、安全なものは安全だと消費者が正しく理解できることではないだろうか。科学的に安全だと判断された食品が、消費者にも安全だと認知されれば消費者の安心につながる。そのためには、提供する側のわかりやすい説明とともに、消費者側もそれを理解するための科学的知識を備える必要があるだろう。
B
発生した食品事故に対して適切な対策がとられ、科学的に安全が証明された後も、いつまでもその食品の消費回復が見られないということはよくある。消費者が納得しないのである。
(中略)
安全に関しては、絶対安全ということはあり得ないにしても、コストさえ掛ければ技術的に安全度を上げることが可能である。しかも安全度は多くの場合、科学的に数値として明示できる。しかし安心の場合には、示された客観的な事実に納得するかどうかは、消費者一人一人の主観によっており、これを説得するのは簡単なことではない。安全を安心に繋(つな)げる難しさには、フードシステム(注)に対する消費者の信頼の程度が大きく関係する。消費者と生産者あるいは、政府の間に信頼関係が構築されていれば安全証明がほぼ同時に安心へと繋(つな)がる。
(時子山ひろみ『安全で良質な食生活を手に入れるーフードシステム入門』による)
(注)フードシステム:食品が生産者から消費者に届くまでの流れ
1)
AとBの認識で共通しているのは何か。
食品の安全対策に消費者の意見が反映されていない。
食品問題への対策は安全性を考えるだけでは十分ではない。
食品の安全性に関して科学的な証明が重視されていない。
食品は絶対に安全だと言えなければ消費者は納得しない。
2)
AとBは、どうしたら消費者が安心を得られると述べているか。
AもBも、消費者自身が食の安全により関心を持つことで得られると述べている。
AもBも、消費者が信頼できる説明を生産者側がすることで得られると述べている。
Aは消費者が安全性を理解することで得られると述べ、Bは消費者と生産者側が信頼関係を築くことで得られると述べている。
Aは消費者が科学的知識を身につけることで得られると述べ、Bは生産者側がより精度の高い安全証明をすることで得られると述べている。
6.
目を見て話す
この秘訣を教えてくれたのは、まだ小さかった頃の娘でした。
「外から帰ったら、手を洗いなさい」
「ごちそうさまを言いなさい」
(中略)
どんなに声に威厳を込めたつもりでも、新聞を読みながらだと、まるでだめ。
「お父さんはこう言っているけど、手を洗うっていうのは、別に大事なことじゃないんだな」
きちんと目を見ていないと、子どもはたちまちそう判断してしまいます。よそ見をしながら口やかましく繰り返しても、①「ごちそうさま」を言うようにはならないのです。
目を見て話すことは、わかり合い、メッセージを伝え、コミュニケーションをよくする秘訣。これは子どもに限ったことではありません。仕事でも家庭でも、すべての場において有効です。
大人になると、ぎくしゃくすることは頻繁にあります。
環境も価値観も考え方も違う人たちの集まりである以上、意見が食い違ったり、誤解が生じてトラブルになることは珍しくありません。
「じっくり話し合えば、ちゃんとわかり合える」というのは、僕の見たところ、残念ながら理想論。どちらかが妥協したり、お互いがちょっと意見を曲げたりして合わせているだけで、100パーセントの解決などありえないのが現実です。
あげくの果てに(注)「話しても無駄だし、また同じことの繰り返しか」とうんざりし、コミュニケーションをあきらめてしまう――ほうっておくとこんな事態に陥ることも、珍しくはありません。
それでもコミュニケーションをあきらめたくないと思ったとき、僕はこの秘訣を思い出しました。いくら意見が食い違っても、どんなにトラブルが燃え上がっても、必ず相手の目を見て話をするということを。
考え方がまるで合わず、最後まで言い分は平行線をたどるような議論でも、相手の目を見て話し続ければ、不思議なことに相手に尊敬の念が湧(わ)いてきます。
たとえ「この人の言っていることは、間違っている!」と思っていても、相手の目を見て聞いていれば、「その人の人間性」に対しては、別の気持ちを抱くようになります。意見は認められなくても、人としては認められるということです。
言い合っても目と目を見つめ合っていれば、不思議な一体感すら生まれます。結果として解決には到らなくても、悪い方向には向かわない。これだけは、何度も試した僕の保証つきです。
疲れていたり、へこんでいたりすると、人は目を見て話すことができません。そして下を向いていればいるほど、良くない事態が悪化します。
さあ、洗い物をしながら大事な話をするのはやめましょう。パソコンから顔を上げて、まっすぐ目を見て話しましょう。
理解できない相手でも、受け入れられない相手でも、この秘訣を知っていれば、②何か別の関係が生まれるはずです。
(松浦弥太郎『あたらしいあたりまえ。一暮らしのなかの工夫と発見ノート2』による)
(注)あげくの果てに:結局
1)
子どもは、①「ごちそうさま」を言うようにはならないとあるが、なぜか。
親が手本を見せないとわからないから。
親がやかましく言うとかえって逆効果になるから。
その言葉を言うことが習慣になっていないから。
その言葉が必要だという親の気持ちが伝わらないから。
2)
大人同士の人間関係について、筆者はどのように述べているか。
話し合いを重ねても、お互いを理解できないことがある。
お互いを理解するためには、最後まで議論することが必要だ。
話し合いの場で誤解をなくすには、お互いが妥協しなければならない。
コミュニケーションをあきらめると、トラブルになることも珍しくない。
3)
②何か別の関係が生まれるとあるが、どういうことか。
相手の人間性を認めるようになる。
相手の意見を容認できるようになる。
相手の態度を受け入れるようになる。
相手の価値観を理解できるようになる。
4)
この文章で筆者が言いたいことは何か。
問題を解決するためには、相手の目を見て理解できるまで話し合えばいい。
コミュニケーションのためには、相手の目を見て話すことが大切である。
相手に誤解されないためには、目を見てコミュニケーションをすればいい。
自分を理解してもらうには、目を見て繰り返し話すことが大切である。
日语考级 N1模拟题 N1考试